雲仙のビデオクリップ
Geological Survey of Japan, AIST
これは、産総研・地質調査総合センターの職員によって撮影された雲仙火山噴火のビデオクリップ集です。
- この研究資料集を引用する際は、次のように表記してください。宮城磯治・川辺禎久・高田亮・阪口圭一・宝田晋治 (2007) 雲仙ビデオクリップ集。地質調査総合センター研究資料集、no. 469。産業技術総合研究所地質調査総合センター。
目次(クリックしてください);
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ビデオクリップ
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1991年5月27日
- 光波定点から溶岩ドーム方向を見る。火砕流発生。1991年5年27日 午前9時。撮影:川辺禎久。
- 自衛隊ヘリによる上空からの観察。1991年5年27日 午前11時。撮影:川辺禎久。
- 自衛隊ヘリから上空観察。火砕流発生。1991年5年27日 午前11時。撮影:川辺禎久。
- 自衛隊ヘリから上空観察。溶岩ドームがわずかに見える。1991年5年27日 午前11時。撮影:川辺禎久。
- 光波測距の様子と普賢岳。溶岩ドームが僅かに見える。終わりのほうで火砕流噴煙。1991年5年27日 午後7時。撮影:川辺禎久。
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1991年5月28日
- 火砕流噴煙による泥雨。北千本木での降灰状況。1991年5年28日午前10時。撮影:川辺禎久。
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1991年5月29日
- 北上木場農業研修所前から撮影した火砕流、崩落。1991年5年29日 午後3時。撮影:川辺禎久。
- 北上木場農業研修所前から撮影したやや規模の大きな火砕流。1991年5年29日 午後3時。撮影:川辺禎久。
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1991年5月30日
- 水無し川沿いの火砕流流下跡。川筋に沿って火砕流本体が流下。サージは直進して木をなぎ倒している。1991年5年30日 午後5時。撮影:川辺禎久。
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1991年6月1日
- 東側にせり出した溶岩ドームと火山ガス。この2日後に東半分が崩落し43名が亡くなる火砕流災害となった。1991年6年1日 午後4時。撮影:川辺禎久。
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1991年6月3日
- 水無川の右岸に沿う道路沿いから、6月3日の火砕流末端を撮影。1991年6月3日 午後4時。撮影:高田。
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1991年6月4-7日
- 上空から見た溶岩ドームおよびその崩落にともなう火砕流。GSJ以外のヘリ観察者のビデオをダビングさせてもらったという記憶がある。ただし、野帳に記録無し。(阪口)。1991.06.04-07の間。撮影:不明(GSJ以外のはず)。
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1991年6月8日
- 夕方にSVOで、山越に見える火砕流の噴煙を撮影。1991年6年8日。撮影:高田。
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1991年6月9日
- 6月8日17時過ぎに発生した大規模火砕流の翌日の映像。1991.06.09, 16:12-16:26。撮影:阪口。
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付録
以下の写真は2000年3月に撮られたものです。撮影:宮城。
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噴火8年後の山頂部
- 水無川から(左)、仁田峠から(中)、礫石原から(右)。
- 山頂付近の自破砕溶岩(左)と、溶岩に含まれる苦鉄質包有物(右)
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火砕流による被害
- 大野古場小学校跡地の鉄棒(左)と校舎(右)
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泥流による被害
- 泥流による被害を受けた民家。水無川付近にて。
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QuickTimeVR
- 山頂付近の自破砕溶岩(左)。平成噴火の火砕流堆積物によって覆われた北斜面、標高約900m付近にて(右)。※もし必要であれば、アップル社のQuickTimeソフトウェアをインストールしてください。