GSJニュースレター NO.9 2005/6 |
NHK教育テレビ高校講座 地学「日本周辺の地震活動」への取材対応
最近マスコミでは,小中高の教育現場での理科離れが社会問題として大きく取りざたされている.特に,高校地学に関しては,教員の採用者数の減少や地学カリキュラムそのものの削減も相まって,地球科学(地学)への関心度の低下は差し迫った状況にあるといえる. これは特に我々のような地質調査を生業としているものにとって看過出来ない問題である.凡に,今年度5月に発足したばかりの日本地球惑星科学連合も,本年7月下旬に,連合として高校地学カリキュラム改善に関する提言を文科省に提出する予定と伝え聞く.私も一研究者として,既存の知識を教材とし,地学教育に貢献出来ないものか?と常日頃から考えていた矢先でもあった.
2004年スマトラ地震によって生じた巨大津波の被災映像を見て,平野麻樹子レポーターと伊藤 孝氏が驚嘆し,同じような巨大津波災害が本邦でも過去に起こっていないか文献を調べてみることにした.その結果,北海道東部太平洋沿岸地域に,巨大津波の痕跡が存在するとの情報を得る. 彼らはまず北海道東部で最も古い古文書「日鑑記」が保管されている,厚岸町国泰寺を訪れる.ここで平野・伊藤は1843年(天保十四年)にこの地を襲った最古の地震津波の記述を発見する.この時,厚岸海事記念館の熊崎農夫博学芸員から,隣の浜中町の霧多布湿原で,地質調査総合センターの研究者(七山)が1843年の津波痕跡の調査を行っているとの情報を得て,早速現地に移動する. 霧多布湿原での調査中の七山と平野・伊藤が出会い,七山が彼らに地質学的手法を用いた津波痕跡の研究意義を熱く語る.最初に海岸線から500m以内の限られた地域にしか保存されていない1843年の津波痕跡の存在を示し,「日鑑記」の記述内容の正当性を指摘する.さらに,日本人の祖先がこの地に入植する1800年代以前に,海岸から数千m以上離れた内陸まで,400〜500年周期で繰り返しこの地を巨大津波が襲っていた事実を示す地層を検土杖で採取し,その最後の巨大津波イベントが17世紀中頃に発生した事を力説する.この検土杖による掘削作業を平野・伊藤も実体験し,“この様な簡単な作業で,この地の過去4000年間の地震津波の履歴が分かってしまう”ことに対し,大きく感動する.番組では,これらの現地ロケに加え,活断層研究センターの佐竹健治氏の作成した霧多布湿原における津波遡上アニメーションや霧多布湿原の深さ3m分のはぎ取り標本の紹介を織り込む予定である.最後に,再びロケ地の映像に戻り,高台にある霧多布湿原センターからの太平洋に向かった遠景を示し,これらの巨大地震津波が2004年スマトラ地震のような巨大地震で発生した可能性について伊藤氏が概説し番組を締めくくる. なお,今回収録された番組は今年度7月29日にテレビ放送され,再放送も含めて今後3年間, 高校講座「地学」の番組で使用される予定となっている. |
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