この地盤地質図及び説明書は, 昭和57年から60年にかけて行った札幌及び周辺地域の沖積平野の地盤に関する研究結果を取りまとめたものである.
本研究は,札幌市とその周辺地域における沖積平野の徴地形及び地盤地質を明らかにし, 併せて土地の有効利用・国土保全のための基礎資料となる地形及び地質図の表現方法を開発することを目的として実施した. 対象とした地域は,野幌丘陵から小樽市銭函(ぜにばこ)町市街地にわたる東西約25q, 札幌市真駒内(まこまない)付近から石狩川の左岸域に至る南北約14q,面積は約349kuである.
札幌市は北海道の行政,経済,文化などあらゆる分野の中心地域として発展し,市街地の膨張が著しい. それに伴って,高層建築物,高速道路,地下鉄,その他各種産業の施設など,多くの構造物の建設が行われてきた. このため,これらにかかわる地質調査のためのボーリング資料が多数蓄積されている. しかし,まだこれらの資料は,地盤や防災などの基礎資料として充分に活用されていない.
筆者らは,かつて平野部及び山麓部の地表地質調査の能率化と合理的な図化に対する試みを, 石狩平野において実施した(村瀬ほか,1972). 更に,この手法を応用して,地形区分を行い,これに試錐・貫入試験等の資料及び, 現地調査の結果を合わせて整理解析し,地盤地質図として編集したものである.
本地盤地質図では,沖積平野地質図,地質断面図,地盤図(−1,−2,−3,−5,−10,−20m)等を編集し, 環境保全,災害防止,地域開発計画等に関連する諸条件を,直接図上で把握できるよう表現することを試みた.
本国及び説明書の作成に当たり,大嶋和雄,石田正夫の両技官から討論とご教示を受け,また, 札幌開発建設部,石狩川開発建設部,北海道,札幌市,江別市,石狩町及び道路公団札幌建設局などから, 多くの資料を提供及び公表の許可を頂いた. なお,製図については羽坂なな子技官によって行われた. 以上の関係各位に,記して厚く感謝の意を表する.
地形分類は,地表を構成する各種の地形を,形態,形成時期,形成営力,構成物質などから系統的に分頬したものである.
本地域の沖横平野は基本的には扇状地,自然堤防及び三角州に区分され,それぞれ構成物質を異にする. これらを基本として,さらに旧河道,堤列平地,砂丘など可能な限り徴地形単元を表示した. これらは,発達する場所と形成機構に特定の条件があって,構成物質を推定する重要な指標となる. なお,そのほかに現地形と旧地形の対比,ボーリングや貫入試験のデータ等により,人工改変地を判定した.
地形分類を行うに当たっては,国土調査法による地形調査作業規定を参照して,空中写真の判読を行った.
判読は米軍撮影による縮尺約1/40,000の空中写真と, 国土地理院の国土基本図作成計画による空中写真1/20,000を用い, 形態,堆積環境等の観点から系統的に徴地形分類を行い,これを国土地理院発行の縮尺1/25,000地形図上にプロットした.
写真の判読結果については現地検討を行い,さらにその表層部の構成物質について調査した.
以上の過程を経て認定した地形は,山地及び丘陵地,崩積斜面,台地,扇状地,谷底平野, 三角州,堤列平地,泥炭地,砂丘,自然堤防,旧低水路,人工改変地の12種である.
我が国では,主要な尾根群の標高が約500m以高の起伏に富む地形を山地と呼び, それ以下の緩慢な斜面と谷底をもつ地域を丘陵地と呼ぶのが一般的である.
本調査地域内の山地及び丘陵地は,地域の南西部を占め,標高は40mから550mで起伏に富み,かなり開析されている. 山地には藻岩山・三角山・円山等の独立峰がある.
崩積斜面は,主として葡行によって岩屑が下方に運ばれ, 山麓部などの緩斜面下部に堆積して生じた堆積面である. 空中写真の色調は灰色ないし晴灰調で,扇状地や谷底平野の色調と似ているが, 本地形は表面傾斜がより急なことで区別できる.
札幌市伏見町浄水場付近の崩積斜面は,標高50mから150m前後,ほとんど住宅地となっている.
同市旭ヶ丘付近では,標高35mから140m前後で,多くは住宅地となっている.
同市手稲福井付近のものは,小別沢川に開析されて段化し,谷底面とは約5mの崖で境されている. 標高は,110mから170m前後で,調査時には多くは畑地であったが, その後の宅地造成により,現在では住宅地がそれを上回っている.
以上のほかに,国道5号線沿いの手稲富岡付近にも崩積斜面が分布している.
台地は,主として対象地域南部から東南部にかけて分布する・
主として支笏(しこつ)火山噴出物からなる火山灰台地と,豊平川河岸にみられる段丘群などの, 砂礫層からなる砂礫台地に区分される.これらの台地は標高により上位・中位及び下位の面に細分される. 上位面は,羊ヶ丘付近に分布する標高100−170mの面で,約3/100の勾配で北に傾斜し, 月寒(つきさっぷ)川の支流により浅い谷が発達し,徴起伏を呈している.
中位面は,標高20−135mの面で,本地域では最も広く分布し,西縁は豊平川扇状地が段化した下位面と接している. 下位面との比高は北部の月寒公園付近で8−12m,南部の澄川付近で18−26mである.
下位面は,豊平川扇状地が段化し形成されたものと,野幌丘陵西縁部に形成されたものとからなる. 前者は標高25−80m,約10/1,000の勾配で北西に傾斜している. この面と豊平川扇状地面との比高は,自衛隊駐屯地付近で約10m,道立水産ふ化場付近では約5mで, 北海学園大学付近で豊平川扇状地面に移行している. 後者は,標高15−45m,大麻付近で約9/1,000の勾配で北西に傾斜し, 江別付近で約5/1,000の勾配で北東に傾斜している.
扇状地は,主として豊平川,琴似川及び発寒(はっさぶ)川など,主要河川の下流域に分布している. このほか,地域南西部の山麓部に小規模な扇状地が散見される. 豊平川扇状地は,真駒内付近を扇頂とし,扇端はJR苗穂駅−天使病院−北海道大学を結ぶ線で, 標高は扇頂で約62m,扇央で約33m,扇端の北海道大学付近で約15mで, 勾配は扇頂−扇央で7/1,000,扇央−扇端で5/1,000である. 発寒川扇状地は,地域外にある平和の滝付近を扇頂とし,JR線付近を扇端とする. 標高は西野中学校付近で約100m,富茂登(ふもと)橋付近で44..5m, JR琴似駅付近では約15mで・勾配は各々32/1,000,26/1,000,14/1,000である.
琴似川扇状地は,琴似川と円山川によって形成された複合扇状地で,扇頂付近の円山動物園で標高63m. 扇端付近の宮の森では約22m,勾配は32/1,000を示し,面積約1.3kuの小規模な扇状地である.
以上の他に,星置(ほしおき)川と軽川及び三樽別(さんたるべつ)川の3河川によって形成された複合扇状地がある. 扇頂の標高は各々68.3m,69m,73.8mで,扇端は星置川,軽川は共にJR線付近にあり標高は約8m,三樽別川では約52mである.
本地域における谷底平野は,河川の堆積作用によって谷底に作られた平坦地で, これには顕著な扇状地に連なるものと,直接三角州に連なるものとがある. 前者には星置川,軽川,三樽別川,発寒川,琴似川,豊平川などに沿って分布するものがあり, 後者は,望月寒川,月寒川,厚別川・野津幌川その他の小河川沿いに分布している.
三角州は,もともと,河川のもたらす土砂が侵食基準面に近い河口付近に堆積して生じたものである. 本地域は,完新世海進最盛期には海域が現在の内陸近くまで達していた(科学技術庁,1961)関係から, 紅葉山砂丘から野幌丘陵にわたる地域北部の広大な面積を占め, 豊平川,発寒川を始めとする大小各河川によって運ばれた砕屑物によって形成されたものである. 標高は2−14m,平均勾配は2/1,000以下の低平な地域である.
堤列平地の母体となる浜堤は三角州の上に形成された地形で, 海面下降による海岸線の前進が継続的に行われると, 浜堤が順次その時々の海岸線に平行に形成されて堤列平地ができる(村瀬ほか,1972).
堤列平地は,後述する紅葉山砂丘と石狩砂丘の間,幅約5−8kmの低地帯に形成されたもので, ここでは,海岸線に平行に,浜堤が約20m前後の間隔で分布している. この浜堤間の低地と浜堤頂との高低差は,2−3mを限度としている. また,浜堤頂の標高はおよそ5mで,銭函に近い清川では,この堤列平地面が明らかに川で切りこまれている.
泥炭地は,三角州,旧低水路の分布域内に形成されており,堆積物は主として植物遺体からなっている.
泥炭地の分布域は,対雁(ついしかり)−福移地区,厚別−大谷地地区,手稲−琴似地区に大別される. 泥炭地間は,互いに自然堤防によって分けられている.
対雁−福移地区の泥炭地は,石狩川,旧豊平川自然堤防と, 伏篭(ふしこ)川自然堤防に囲まれた低湿地帯に形成されたもので,標高は3−8m,大部分は5m内外である.
厚別−大谷地地区の泥炭地は,野幌丘陵,月寒段丘,旧豊平川自然堤防に囲まれた低湿地帯に形成されたもので, 標高は5−12mであるが,大谷地流通センター付近のように16mに達するところもある.
琴似−手稲地区の泥炭地は,紅葉山砂丘, 伏篭川自然堤防及び手稲富岡崩積斜面に囲まれた低湿地帯に形成されたもので, 標高は2−8mにわたるが,大部分は5m内外である.
本地域には,石狩砂丘,紅葉山砂丘及び江別砂丘が分布する.
石狩砂丘は,銭函海岸から石狩川の河口付近まで,約20kmにわたり,細長く続いている. その表面はかなり起伏に富み,標高は8m内外で11mを超えない.
紅葉山砂丘は,現在の汀線から約8km内陸にあり,海岸線とほぼ平行して, 札幌市手稲町の新川橋付近から,北東方向に細長く連続し,茨戸(ばらと)付近で旧石狩川に, 生振(おやふる)付近で現石狩川に切られているが,石狩町美登位(みとい)付近まで約14kmにわたって延びている. 本砂丘の標高は,一般に14−15mで,最高点でも18.5mである.
江別砂丘は,野幌丘陵北端部に点在する内陸古砂丘で標高は15−20mである. 偽層の状態から見て,一般の砂丘と同じ営力によって形成されたものである.
自然堤防は,三角州の上に帯状に連なり,周辺の三角州に比べて0.5−2m程度高く, 発寒川,伏篭川(元豊平川),豊平川,旧豊平川及び石狩川の流路沿いに分布している. 伏篭川沿いの自然堤防は,元豊平川の時代に形成され,幅の広いところで2,400m,狭いところで600m程度である.
旧低水路は,河川が蛇行しながらその流路を変更したために残された旧河道で, 溝状の凹地となっている場合が多く,また,その一部には三日月湖を残しているところもある. これら旧低水路の一部は,周囲との高低差がほとんどなく,現地での判別が困難である場合もあるが, 空中写真の観察では,色調の差によって明瞭に識別される. これは,礫・砂などの堆積物が周囲に比べて多く,地下水脈が残されているためとみられる. また,本地域内の扇状地には,河川の乱流,網状流あるいは洪水時の一時的な流れの跡である旧河道が, 連続または断続的に多数存在している.
人工改変地は,人工的に改変された部分を示しているが,客土の範囲が不明なものや, 小規模なものは表示していない.また,盛土地は主として低地に土を盛って造成された土地で, 本沖積地質図では,0.5m以上の盛土地を図示している.
本地域を包含する石狩海岸平野の地質については,北海道における第四系の代表的な発達地域として, 層序学,古環境学,古地形学等の観点から多くの研究報告があるが, ここでは,村瀬ほか(1972)の報告に基づいて,まず,地形分析を行い, その結果を地質学的に検討して地質区分単元を定めた.
先に述べた地形分類を基にして,現地調査・収集資料の検討結果などを加味し, 最終的に設定することとした.地質単元及びこれらと先に述べた地形区分との関係を第1表に示す.
この地質区分の中で,新旧関係を明確に位置づけられるのは,古いものから, 基盤岩類,古期火山岩類,上位・中位段丘堆積物,支第火山噴出物,扇状地堆積物及びこれに続く谷底平野堆積物, 堤列平地堆積物及び自然堤防堆積物である. 崩積層と扇状地堆積物及びこれに続く谷底平野堆積物との新旧関係は不明であるが, おそらく前者の方が古いものと思われる.
また,堤列平地堆積物は,三角州性堆積物の頂置層より一部同時期, ないし古いものと思われ,同堆積物の底置層より新しい. さらに,泥炭は三角州性堆積物及びこれに続く谷底平野堆積物, 堤列平地堆積物の上位に位置するものと,三角州性堆積物の中に含まれているものとがあり, これらの堆積物については,その層位学的位置の決定に必要な資料を得るに至っていないが,その断面を模式的に第1図に示す.
地質区分 | 地形区分 |
---|---|
自然堤防堆積物 | 自然堤防 |
砂丘堆積物 | 砂丘 |
泥炭堆積物 | 泥炭 |
堤列平地堆積物 | 堤列平地 |
谷底平野堆積物 | 谷底平野 |
三角州性堆漬物 | 三角州 |
扇状地堆積物 | 扇状地 |
支笏火山噴出物 | 丘陵地・台地 |
崩積層 | 崩積斜面 |
段丘堆漬物 | 台地 |
古期火山岩類 | 山地・丘陵地 |
基盤岩類 | 山地・丘陵地 |
前項で述べた方法により決定した地質単元を,沖積平野地質図として表現したが, ここで沖積層としたのは,平野を構成する軟弱層の総称としてのいわゆる“沖積層”で, 最終氷期最盛期以後の堆積物を対象とした. 従って,それ以前の地質単元については,先沖積層として一括して記載する.
本地域の先沖積層は,火山噴出物に富んでいる. すなわち,第三系は,盤の沢層と西野層及び火山岩類に分けられる. 盤の沢層と西野層は共に地域西南部の山地に分布し,両層は不整合に接している(小山内ほか,1956).
第四系は,野幌層,段丘堆漬物,崩積層,支第火山噴出物から構成される. 野幌層は,野幌丘陵と月寒台地の基底部を構成して分布するが,露出が少なく下位との関係は不明である. 上部は,支第火山噴出物に不整合に覆われる,主として緑青色の砂質粘土を主体として, 粗粒−中粒の含礫砂の薄層を挟む(小山内ほか,1956).
段丘堆積物は,上位段丘,中位段丘及び下位段丘各堆積物に細分される.
上位段丘堆積物は,本対象地域内においては羊ケ丘付近に僅かに分布するが, 主として安山岩類の礫層からなり,支第火山噴出物に覆われている.
中位段丘堆積物の大部分は支第火山噴出物に覆われているが, 向ヶ丘産業共進会場付近では,支笏火山噴出物は見られず, 主として安山岩類からなる礫層とその上に灰白色の粘土,さらに火山灰により構成されている. これは,支笏火山噴出物の堆積後,大部分は河川の削剥作用を被り, 一部粘土化してその後新期の火山灰によって覆われたものと思われる.
下位段丘堆積物は,豊平川扇状地と接して形成されたものと,野幌丘陵西縁部に形成されたものとがある.
前者は,砂礫層を主体とし,上部を1−2mの火山灰及び砂質シルトに覆われている.
後者は,大麻付近に形成されたもので,主として砂及び礫からなる. 基底部は安山岩礫の卓越する礫層で,上部に向かって砂層が増し砂礫層と互層する. 江別付近では主に粘土,砂質シルト及びシルトからなる.
崩積層は,一般に急斜面の上部にある風化生成物が,重力などの直接作用によって落下し, 崖下に堆積したもので,乱雑な堆積相を示す岩塊とその充填物からなる. これを札幌市伏見町浄水場付近の露頭について見ると, 厚さ約40cmの黒褐色の腐植土の下に径20−30cmの巨礫を含む安山岩類の角礫層があり,基質は砂質である.
支笏火山噴出物は,豊平扇状地東部から野幌丘陵にかけて分布している. 岩相としては,降下軽石堆積物・軽石流堆積物などから構成されており, 軽石流堆積物の軽石は,普通角閃石普通輝石紫蘇輝石安山岩ないしデイサイトである. 本火山噴出物は,支笏火山が軽石及び火山灰の噴出を繰り返し, その後に大量の軽石流堆積物を堆積させたものである. その時代は14C年代測定により支笏降下軽石堆積物は, 32,200±2,000Y.B.P.(Gak−714;佐藤,1969)及び32,200±3,100Y.B.P. (Gak−519;石狩低地帯研究グループ,1965), また,支第軽石流堆積物は,31,900±1,700Y.B.P.(Gak−713佐藤,1969)の値が得られている.
本地域の扇状地堆積物は,豊平川,発寒川,琴似川,星置川などの各流域に発達している.
豊平川によって形成された扇状地堆積物は,支笏火山噴出物によって上下に2分され, その上半の礫層の大部分が主ウルム氷期の堆積物である(大嶋ほか,1978), 扇頂付近では主として輝石安山岩,石英粗面岩などからなる拳大−人頭大の円礫層が卓越するが, 扇端部に向かって砂礫層など粗粒相が貧化し,シルト,粘土など細粒相が優勢となっている.
発寒川によって形成された扇状地堆積物は,表土の下に2層の砂礫層があり, 上部層は主として安山岩からなる拳大−人頭大の礫層で,下部層は多量の砂を混入した主として安山岩, 同質集塊岩及び第三系泥岩−頁岩からなる礫層からなっている.
琴似川によって形成された扇状地堆積物は,表層部に淡赤褐色ないし黄褐色のローム層があり, その下部は拳大−人頭大の第三系火山岩頬の礫を混在する砂礫層となっている. 宮の森付近では後背斜面の崩積層の上に,厚さ3m位の礫層が堆積しており, 崩積層堆積後に扇状地が形成されたことを物語っている.
星置川によって形成された扇状地堆積物は,安山岩頬の亜角礫を主とする砂礫層で, 扇端部に近づくに従って砂,泥層が厚くなる傾向を示している.
三角州性堆積物は,河川によって運搬された土砂が, 海あるいは湖沼を侵食基準面近くまで順次埋立つつ形成された堆積物の総称である. 一般に古い扇状地堆積物の前方に続くもので,粗大な砂礫は当然上流部の扇状地に堆積してしまうから, 三角州性堆積物は一般に細粒砂・シルト・粘土などの細粒物質からなるが, 地域東部の河口に扇状地が見られないところでは,後背地の地質を反映し,火山性砕屑物が卓越する細粒相からなっている.
谷底平野堆積物には,扇状地堆積物ないしそれに連なるもの, 三角州性堆積物ないしそれに連なるものとがある.粒度を異にしていることで区別できる. すなわち,前者は砂礫が比較的多く,後者は細かい砂や泥質土からなっている.
堤列平地堆積物は,一般に細−中−粗粒砂からなっているが, 表層部は風化により砂質ロームに漸移する. 新川沿いのこの堆積物の粒度組成を見ると,内陸側に粗く,海岸に向かって細かくなっている. また,花畔(ばんなぐろ)市街地から樽川に向かう粒度組成を見ると,北東側の方が粗く, 南西樽川から銭函に向かって細かくなる傾向が認められる(垣見,1958).
本堆積物の多くを占める砂の構成物質は,岩石片では主にチャート・頁岩・安山岩などで, 造岩鉱物は,斜長石がその大部分を占め,石英がこれに次ぎ,有色鉱物としては, 緑色角閃石・普通輝石・紫蘇輝石などである(垣見,1958). 堆積物の厚さは,生振(おやふる)3線付近で10.8m,樽川3線では25.5mで,標高としては,−20mを超える事はない.
泥炭堆積物は,地上に堆積した植物遺体が, 水分過剰,低温,乾燥などの諸条件により分解作用が妨げられて形成され,これが堆積した土地を泥炭地と呼ぷ.
本地域に普通に見られる沼野泥炭地の生成過程は,第2図に示すように, 湖沼など盆状地形に常時水分が保たれているところに,ヨシ・スゲなどが生え, 水深が浅くなると共にヨシに覆われて,ヨシ泥炭層を作り, その形成は表面が水面を超えて湿気が少なくなるまで続く. 泥炭層のうち一番底の,土壌に接する部分に形成されたものは,土壌から直接栄養をとる. これを低位泥炭と言う.これらの泥炭が厚さを増して湿気の度合が減少すると, 小型のスゲ・ワタスゲ・ヌマガヤなどの草原に変化していく. これらの植物は,栄養源である底土から距離が遠くなるので中栄養性になる. 層位も上になるので中間泥炭地と呼ぶ.更に層厚を増して貧栄養性の条件となる. それらは当初の水面よりほるかに高い位置にあるので高位泥炭地と呼んでいる(三宅,1969).
本地域における泥炭地は,対雁−福移地区,厚別−大谷地地区,手稲−琴似地区に分布している.
対雁−福移地区の泥炭は,北西部から東部に向かって次第に厚さを増す傾向を示す. すなわち,北西部の篠路拓北付近では2−3mであるが,東部の江別角山付近では5−6m,最も厚いところでは8mに達している. 地表下10cm付近には樽前系のものとされる火山灰(垣見,1958)が挟在する.
厚別一大谷地地区の泥炭は,層厚4−6mであるが,最も厚いところでほ, 野津(のづ)幌(ほろ)川左岸の厚別町付近で9.1mに達するところがある. なお,本地区には中間泥炭が存在しない. これは低位泥炭生成中に何らかの原因による地下水の低下があり, 中間泥炭の発達がないまま直接貧栄養性の高位泥炭に移行したことによるものであろう.
琴似−手稲地区の泥炭は,東部の屯田町付近で厚さ2−3m程度で,西部に向かって厚くなる傾向を示し, 発寒付近では3−5mとなり,最も厚いところでは9mに達する. なお,本地区の泥炭には高位泥炭が存在していない. これは最近まで湿潤性が高く,中栄養性の環境にあり中間泥炭の生成中にあったのか, 水面上にあり貧栄養性の環境にあったが, 7月の平均気温が200Cを超え高位泥炭の主構成物であるミズコケの成育が困難となったか(北海道開発局,1978), 1月の平均気温が−100C〜150C以下になり, 凍結によって破壊されたこと(松実ほか,1966)によるものかのいずれかの原田によるものと考えられる.
本地域の砂丘には,古いものから江別砂丘,紅葉山砂丘及び石狩砂丘がある.
江別砂丘の堆積物は,火山灰質中−租粒砂からなる. その形成時期は,北川ほか(1974)によって, 古砂丘の基底と下位層との境界及び古砂丘直上から産した植物化石について, それぞれ28,850±1,800Y.B.P.と,21,450±750Y.B.P.の14C年代が報告されている.
紅葉山砂丘の堆積物は,均一細粒であることを特徴とし,砂粒はかなり円味を帯びている. この砂層の下位には,砂丘の分布とほぼ一致する礫層がある. 礫の種類は主として普通輝石紫蘇輝石安山岩であるが,珪岩・石英粗面岩質舞灰岩・頁岩などの疎も含まれている.
本砂丘は,後述の石狩砂丘より標高が高く,旧石狩川に切られていること, 及びその頂部より縄文中期の土器を産出することから, 少なくとも4,000年以前には形成されていたと考えられる(大嶋ほか,1978).
石狩砂丘の堆積物は,その一部には海浜の砂が堆積したものも含まれていると思われるが, 表層の大部分は風成堆着物とみなされる.
自然堤防堆漬物は,新旧豊平川,発寒川,石狩川の流路沿い三角州性堆積物の上に分布している. 伏篭川(元豊平川)沿いに広範囲に形成されたものについて見ると, 豊平川扇状地の前面に位置するため細粒の堆積物が多く,細粒砂・ローム・砂質シルト・砂質粘土などからなっている.
地盤図は,関東大震災後の1929年復興局建築部によって東京・横浜の沖積平野部分一帯に約700本の試錐調査を実施し, これをもとに作成されたのが最初である. 本道においては地質調査所による,苫小牧地区地下構造調査報告(1967), 道立地下資源調査所による北海道地盤地質図「札幌」(1974)及び同「野幌」(1980), 北海道空知支庁によって東部耕地出張所管内の地盤調査報告(1979)などが報告されている.
本地盤図は−1m,−2m,−3m,−5m,−10m,−20mの各深度ごとに,土質と支持力が読取れるよう努めた.
本地盤図は,主に地盤調査及び水資源調査のため実施された試錐資料と, 札幌周辺の広範囲な地域にわたる地耐力調査の資料(札樽経済協議会,1962)をもとに, 編集作成した. 札樽経済協議会の資料は,イ)10kgの重錘を50cmの高さより自由落下させ, ロ)コーンが5cm貫入するに要する打撃回数を貫人指数(N値)とし, ハ)このN値から許容地耐力を想定した. なお,使用試験幾は北大交T型で,N値と許容地耐力との関係は, 安全率を3とした場合,第2表に示す関係曲線で表示される.
一方試錐資料では,標準貫入試験のN値が採用されている. このN値は相対密度を推定する一つの資料で,主としてセン断抵抗を示すものとすれば, 同じ相対密度の砂でも深い所と浅い所ではN値の大きさが変わる. しかし,N値と土質との関係はこのような問題点を含みながらも実用的に用いられ, 測定したN値を修正せずそのまま用いることが望ましい(土質工学会,1972)と思われる. 従って本地盤図では,無修正のN値をそのまま用いて, 一部の段丘,扇状地など砂がち堆積物については第3表及び第4表を, 札樽経済協議会資料の空自部など泥がち堆積物では第5表を参考(河上,1965)にして作成した.
打撃回数N | 砂の相対密度 |
---|---|
0 − 4 | 非常にゆるい |
5 −10 | ゆるい |
11−30 | 普 通 |
31−50 | 密 な |
50以上 | 非常に密な |
打撃回数N | 10以下 | 11−30 | 31−50 | 51以上 |
---|---|---|---|---|
平板基礎の許容支持力t/m2 | − | 7.5−27 | 27−48 | 48以上 |
打撃回数N | 粘性土の緊硬度 |
---|---|
0 − 1 | 非常に軟弱 |
2 − 4 | 軟 弱 |
5 − 8 | 普 通 |
9 − 15 | 硬 い |
16− 30 | 非常に硬い |
31以上 | 固結した |
本研究に際し収集した調査資料は,各官庁,民間コンサルタント等からの試錐資料が2,375本, 貫入試験の資料が712本である. 収集した資料は試錐と貫入試験資料との重複等資料内容について整理し, 132本を抜粋して巻末に収録し,地点を沖積平野地質図に示した.
なお,巻末の柱状図に冠してある記号は,地盤図対象地域を東西方向にA−N, これと直角方向に1−12迄の各ブロックに分け,そのブロックごとに番号をつけ,例えば,D−6−15として記載してある.
本地域の地質断面図は,東西方向に7本,南北方向に8本,計15本作成した.縮尺は,縦横50:1とした.
本地盤図の表現は,各深度ごとの土質や,地盤の硬軟が容易に判別できるよう,次の基準により表示した.
支持力分類 | 目安とした地耐力 |
---|---|
支持力A はなはだ軟らかい | 2t/u以下 |
支持力B 軟らかい | 5t/u以下 |
支持力C やや軟らかい | 10t/u以下 |
支持力D やや硬い | 20t/u以下 |
支持力E 硬い | 30t/u以下 |
支持力F はなはだ硬い | 30t/u以上 |
いわゆる軟弱地盤は,建造物の基礎として,軟弱ですべり破壊や沈下等の支障を生じ易い不安定な地盤を総称する.
地盤支持力の観点からみた軟弱地盤は,目的とする構造物によって許容地耐力の数値に差があり, 具体的に許容支持力についての基準は定められていない.
本地盤図では許容支持力C以下(10t/u以下)を軟弱地盤として取扱うことにした. また,土質は砂がち堆積物,泥がち堆積物,泥炭等の用語で表現した. これは収集した資料が,土木,建築,土地改良,水質調査等目的により,また, 使用機器により土質の判定に違いがあり,統一した基準による表現はかなり困難であるが, 資料から得られる各種のデータを比較検討し,このような表現方法を採用することにした.
第3図は真井(1962)の図を修正加筆した許容地耐力の分布図であるが, 主として建築の根入れの浅い基礎及び道路の基礎などを対象として作成したもので,次の基準によった.
第4図は許容地耐力10t/u,第5図は許容地耐力20t/u, 第6図は許容地耐力30t/uの支持層が得られる深さを求めて作成した. この場合の支持層は少なくとも1.5mの厚さを持つことを条件とした. また,等値線により深さ別に次の4段階に区分した.
(1)2.5m以内 (2)2.6−5m
(3)5.1−9.9m (4)10m以上
許容地耐力10t/uの深度が2.5m以内にある区域は第4図の支持力D区域の分布と同様に, 石狩川に向かってU字型に分布している.面積は約76kuで対象区域の約22%を占めている.
許容地耐力20t/uの深度が2.5m以内にある区域は,第5図に示すように, 大部分が地域南部に集中し,西部及び東部では局所的に散在するにすぎない. この傾向は許容地耐力30t/uの深度が2.5m以内の場合も同様で, 扇状地堆積物及び段丘堆積物が分布する地域の地盤が安定していることを示している.
許容支持力10t/u以下(支持力C)の軟弱地盤は第3図に示すように図の中央部を占める. 主として三角州性堆積物と泥炭で構成され,堆漬物を運搬した河川により多少の違いはあるが, 主に泥がち堆積物で,ほぼ全域の表層部に泥炭が分布することを特徴としている.
−1m地盤図における軟弱地盤は,地盤図対象地域の86%を超え,面積は約302kuである. そのうち,許容支持力2t/u以下の区域(以下支持力A区域と呼ぶ)は約166kuで, これら軟弱地盤の約55%を占める.泥炭堆積物,三角州性堆積物の泥がち堆積物からなり, そのうち,泥炭が92kuで約55%を占めている.
支持力B区域は,面積約74kuで軟弱地盤の約24%を占めるが低地中央部に分布する三角州性堆積物では, 泥がち堆積物が卓越し,海側に分布する堤列平地堆積物ではほとんどが砂がち堆積物である.
支持力C区域は,面積約62kuで軟弱地盤の約21%を占める.多くは堤列平地堆積物で,大部分が砂がち堆積物である.
−2m地盤図における軟弱地盤は,地盤図対象地域の80%を超え,面積は約280kuである.
支持力A区域は,面積約147kuで軟弱地盤の約53%を占めている. 伏篭川自然堤防の東側低地では,泥炭堆積物が多く, 三角州性堆積物の泥がち堆積物との割合は,7:2で, 伏篭川自然堤防の西側では逆に泥がち堆積物が多く,泥炭との割合はほぼ3:1である. なお,伏篭川自然堤防の東側低地において,支持力A区域が−1m地盤図のそれに比べて若干増加しているが, これほ,千葉(1969)によって既に報告されているように, 泥炭が客土や排水工事等の土地改良によって表層部が改変され,地盤の支持力が増加したためと考えられる.
支持力B区域は,面積約55kuで軟弱地盤の約20%を占めている. そのほとんどは三角州性堆積物で,土質の多くは泥がち堆積物で, 一部砂がち堆積物となっており,わずかに泥炭が点在する.
支持力C区域は,面積約77kuで軟弱地盤の約28%を占め, 堤列平地堆積物が支持力C区域全体の60%を超え,その多くは砂がち堆積物である.
−3m地盤図における軟弱地盤は,地盤図対象区域の62%を超え,面漬約217kuである. A:B:C各支持力区域の区分割合はほぼ3:2:1を示しているが, これは地域によって異なり,堤列平地堆積物の分布範囲では,1:1:3と支持力C区域が支持力A区域の3倍を示し, 伏篭川自然堤防の東側では5:2:1で逆に支持力A区域が支持力C区域の5倍となっている. これは,前者がほとんど砂がち堆積物であるのに対して,後者は泥炭と泥がち堆積物で構成されているためと考えられる.
支持力A区域は,面積約107kuで軟弱地盤の約49%を占め, そのうち,伏篭川自然堤防の東側低地に分布する三角州性堆積物が69kuと最も広く,その83%が泥炭である.
支持力B区域は,面積約71kuで軟弱地盤の約83%を占め,三角州性堆積物で構成され, その多くは泥がち堆積物で,一部砂がち堆積物となっている.
支持力C区域は,面積約39kuで軟弱地盤の約18%を占め,砂がち堆積物が多い.
−5m地盤図における軟弱地盤は,地盤図対象地域の49%を超える面積約172kuである.
支持力A区域は,面積約47kuで軟弱地盤の約27%を占める. ここでも−3m地盤図と同様の分布傾向を示しており,堆積物は泥炭堆積物と三角州性堆積物の泥がち堆積物である.
支持力B区域は,面積約58kuで軟弱地盤の34%を占める. 三角州性堆積物が全体の96%以上を占め,泥がち堆積物が卓越している.
支持力C区域は,面積約67kuで軟弱地盤の約39%を占める. 堆積物のほとんどは三角州性堆積物で,砂がち堆積物と泥がち堆積物が相半ばしている.
−10m地盤図における軟弱地盤は,地盤図対象地域の約28%を占め,面積約97kuである.
支持力A区域は,面積約9kuで軟弱地盤の約9%で,堤列平地堆積物には全く見られず, ほとんど三角州性堆積物の泥がち堆積物で,わずかに, JR札沼線釜谷(かまや)臼(うす)駅東部付近で,厚さ1.2mの泥炭層が見られるにすぎない.
支持力B区域は,面積約39kuで軟弱地盤の約40%を占め,三角州性堆積物の泥がち堆積物が多い.
支持力C区域は,面積約50kuで軟弱地盤の約51%を占め,三角州性堆積物の砂がち堆積物が多い.
一20m地盤図における軟弱地盤は,地盤図対象地域の約26%を占め,面積約92kuである. −10mの地盤図と比較してわずかに減少しているが,地域別に見ると, 堤列平地堆積物の分布地帯では,逆に13倍の増加が見られるが, これは堤列平地堆積物の深度が−17m付近で三角州性堆積物に移化したためと考えられる.
堆積物は,このほかにも石狩川河口橋西方約700m付近の試錐の,深度19m付近から厚さ約4mの泥炭層が確認されている. なお,支持力A区域は,面積約5kuで軟弱地盤の約6%,支持力B区域は,面積約48kuで軟弱地盤の約52%, 支持力C区域は,面積約38kuで軟弱地盤の42%を占めている.
本研究は,都市及び周辺部で産業・経済・文化活動が集中している沖積平野部の基礎地盤について, 地域的な地盤情報の提供を目的とし,札幌及び周辺地域をモデルフィールドとして, 地盤地質図を作成するために実施したものである.
地盤地質図を作成するには,試錐調査や貫入試験資料を必要とする. しかし,先にも述べたように,本地域には, 土木・建築工事のための基礎工事を目的として実施された調査試錐や貫入試験等の資料が多数蓄積されている. 今回の調査に当たっては,基礎データーとして2,375本の試錐資料や712本の貫入試験資料が収集された. これらの調査試錐は構造物の基礎調査を目的として,個々に実施されているもので, 地域的に総括されることがなく,死蔵され更には散逸すろ恐れさえある.
本研究ではこれらの諸資料を活用し,環境保全や災害防止,地域開発計画の作成に資するため, 地質地盤に関する基礎資料を総合的に図面に表現することを目標とした. このため,本研究では土木・建築技術者が,設計・施工のための情報源として活用できるように, 沖積平野地質図,地質断面図のほか,深度−1m,−2m,−3m,−5m,−10m,−20mの地盤図を作成し, 各深度ごとの土質および地盤の硬軟が予測できるよう表現方法を工夫した.
本研究は,札幌及び周辺部をモデルフィールドとしたが, この研究で開発した手法は他の地域にも適用出来るものと考えている. その際,地形,地質の異なる地域を解析する要件を把握し地域的な特性をより的確に表現することが要求されることになろう. このためにも本研究を基礎として,よりよい地盤地質図の作成に寄与する研究を推進することが望まれる.