本ページに掲載された写真等のコンテンツには「政府標準利用規約(第2.0版)」が適用されないものがあります。[2018年 6月28日] |
地質で語る百名山 トップへ
日本の火山と火山地質図「浅間火山」
下司信夫(活断層・火山研究部門)
ASAMA-VOLCANO written by Nobuo Geshi (Geological Survey of Japan, AIST)
群馬県側山腹から見た浅間山。
江戸時代の噴火は大きな被害をもたらしました。
長野県・群馬県の県境に位置する、複雑な成長史をもつ大型の複合火山です。その活動は数10万年前から始まり、黒斑火山などいくつもの成層火山体の形成と崩壊を繰り返しました。また、周辺には小浅間火山などいくつかの側火山が分布しています。
浅間火山で最も古いと考えられる黒斑火山は7万年以前から噴火活動を開始し、およそ2万年前までにその火山体が形成されたと考えられています。およそ23000年前に黒斑火山は大きく崩壊し、南北両麓を広く崩壊堆積物が覆いました。その後仏岩火山、前掛火山が成長しました。浅間火山の形成史のなかで最大規模の噴火は約13000年前に発生し、降下軽石の放出とともに大量の火砕流が噴出し、南北の山麓を広く覆いました。この火砕流堆積物は小諸第一火砕流とよばれ、現在も小諸市周辺の千曲川沿いなどで観察することができます。現在の山頂部を形成している前掛火山は数千年前から活動を開始しました。
有史後の活動はすべて現在の前掛山の山頂火口から起こっています。歴史時代には天仁、天明の二つの大きな噴火が知られています。天仁噴火(1108年)では、まず噴火初期に大量の軽石が東麓に降下し、ついでスコリア質の追分火砕流が南北の山腹の広範囲に流下ました。この追分火砕流は北麓では吾妻川の渓谷まで、南麓では西軽井沢付近にまで到達したことが地質調査から明らかにされています。追分火砕流の噴出直後、北東山腹に上の舞台溶岩が流れ下りました。
天明噴火(1783年)噴火は前掛山山頂火口より発生し、北側の山麓を中心に大被害を生じたことでしられています。天明噴火は1783年5月9日にはじまり、山頂火口から小規模な噴火がつづきましたが、同年7月中~下旬より軽石や火山灰を激しく噴出する「プリニー型噴火」が始まりました。このとき噴出した軽石や火山灰は東山麓から北関東一帯に降り注ぎました。噴火の最盛期は8月4日夜から5日で、軽石の噴出と同時に吾妻火砕流が北東山腹に流れ下りました。 8月5日には鎌原火砕流・岩屑流が発生し、北麓の鎌原村などの集落はその堆積物によって埋もれました。さらに、吾妻川に流入した鎌原岩屑流は火山泥流となり吾妻川から利根川流域の広い範囲に被害をもたらしました。天明噴火の泥流が堆積した利根川流域は荒廃し、その後長い間利根川の治水に大きな困難をもたらしました。また、浅間山北麓にひろがる鬼押出溶岩はこの天明噴火で噴出したものです。
その後明治時代から昭和50年代までは、山頂火口からブルカノ式とよばれる爆発的な噴火を繰り返し、山頂から山腹にかけて噴石や火山灰を飛散させました。またしばしば小規模な火砕流も発生しました。現在は比較的平穏な状態が続いていますが、山頂火口からは常時噴煙が昇っています。今年2月から4月にかけてごく小規模な噴火が発生しました。
地質調査総合センター発行 「浅間火山地質図」 1:5万。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
火山地質図~火山のおいたちをさぐる
火山地質図とは、日本の主な活火山を対象に、その火山の噴火史に注目して作られた地質図です。火山地質図には、溶岩や火砕流といった火山噴出物の分布や、噴火口の位置など火山の構造に関する情報が記載されています。また、その火山の形成史や活動に関する解説が付けられています。これまでに全国11の活火山の火山地質図が出版され、防災や火山研究の基礎データとして利用されています。